【感想】ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか16
「私を攫ってください」
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているのだろか16』
の感想であり、感想の皮を被った考察の皮を被った妄想です。
Twitterでも感想を書いたんですが、如何せんネタバレ厳禁な今回、触れられないことが多すぎたので改めてこの場で書きます。
ということで、ネタバレの配慮は皆無なので、未読の方はブラウザバック推奨です。
で、本題に入る前になんですが、この16巻はダンまちらしからぬ難しさ複雑さでしたよね……。
正直読み違えてる可能性も否めないし、(正確にかは別として)カラクリを把握した上での2周目なども読んでいないので悪しからず。ラフに読んでいただければ。
リュー・リオンが可愛い
リュー・リオンが、リューさんが可愛すぎやしないだろうか? 繰り返す。可愛すぎや、しないだろうか?
14巻を読んだ時からすっかり彼女の魅力に当てられているんですが、今回も凄まじかったですね。
「ベルさんのこと、好きになっちゃった?」と尋ねられば、お約束のようにどさどさと抱えていた紙袋を落とし、シルがベルを女神祭に誘うといえば、心は嫌だと叫び鼓動を早める。
堅物エルフが面白いように狼狽するというのはテンプレートかもしれないですが、それが良いですよね、本当に。
さらには、クロエが呟きますね。呼び方が変わっていることを。
14巻で呼び方が「クラネルさん」から「ベル」へと”自然に”切り替わったと気付いた時も鳥肌ものでしたが、改めて最高です。
さらにはさらにはですよ。自らをおかしくさせていた感情に気づき、認めました。もちろん彼女なりに複雑なところはあるでしょうが、今後ベルと些細でも落ち着いて話すシーンが描かれるのが楽しみでなりません。
恩人と仰ぐシルが好いているベルに横恋慕などしないと言い、しかし自分の気持ちに気づきシルへの裏切りに感じるあたりの誠意も、すごくリュー・リオンらしいですね。嗚呼、好き。
結局こういうこと?
ここで書いているうちに整理できないかなという思惑があったりします。(=その位わかってないので、あまり信用しないでください)
一度読んだ印象と、その後他の人の感想も読みかじったところ、
過去のシル → ヘルン = 女神祭1日目のフレイヤ = 女神祭2日目の偽物のシル
フレイヤ → (現在、酒場で働く)シル = 女神祭1日目のシル
断章「syrの始まり」や episodeフレイヤのラストで描かれたシーンに登場するシルが今のヘルンであり、豊穣の酒場で働くシルはフレイヤと同一人物という解釈でいいのでしょうかね。
つまり、MonologueⅠなどは(今の)シルではなく、女神祭2日目の偽物のシル(=ヘルン)だったと。祭の1日目シルとのデート中にベル達を見つめてきたフレイヤもまた、ヘルンでしょう。
2つの器に対して、3つの人格があるのが厄介ですよね。断章のシーンを経て、元のシルがヘルンへと変わったことは間違いないにしても、じゃあ今現在のフレイヤとシルはなんなんだと。
これ以上は17巻に期待するしかないと思うんですが、(多分)可能性は2つあって、
まず、フレイヤが名を譲り受けたシルの姿に変わって、その姿に精神も引っ張られているあるいは凄まじい演技力で一酒場の娘を演じているというパターン。
そして、もう一つは、フレイヤの器にフレイヤとシルが同居しているパターン。
個人的に推したいのは後者です。整合性の確認などはしていないのですが、シル=フレイヤといってもその振る舞いは大きく異なりますし、フレイヤがただシルの姿になっているというのはなんとなく受け入れ難いんですよね。
ヘルンという存在でもう「あなたになりたい」という望みは叶えられているので微妙な面もあります。しかし、女神祭1日目の夜の行動が、シルがフレイヤの意識が表出しかけたのだと説明できます。
さらにはですよ。
「私、本当の意味で一人でいられることってないんです。 今も【フレイヤ・ファミリア】の皆さんが私のことを見張っていて」
(180ページより)
ここ、最初に読んだ時は文字通り四六時中フレイヤ・ファミリアの監視があるという意味だと取ったんですが、常にフレイヤと体を共有しているという意味かもしれませんよね。
この解釈だと攫ったとて一人にはなれませんけど、そこはまあ意味深に傍点がついているわけですし、精神的な問題ということで。
結局、結局のところ、ここまで読ませておいてなんですが何が確実か分かりません。と言うのも、ヘルンの思惑は良しとして、フレイヤまたはシルが何を求め何を証明したいのかが掴めない。
個人的にはプロローグⅡが一番意地が悪い気がしますね。最初に読んだ時にはただのシルの独白だと思いましたが、今読むとラストはヘルンの独白でしょう。そして、結局シルは何なのか。何者なのか。
『水と光のフルランド』
こういう作中作による演出、大好物です。
騎士フルランドがベルに重ねられることはいいとして、初めは精霊がアイズに、聖女がシルに重ねられていると思ったんです。
しかし、逆のようですね。
ここで一度、シル・フローヴァという名前について触れてみます。
行方不明のオーズを探す間にフレイヤは様々な異名を名乗った。たとえば(中略)Sýr(スゥール、シル)が知られている。
出典元:フレイヤ - Wikipedia
神話において「シル」はフレイヤの名乗った異名だそうです。
また、
フレイヤという名は「婦人」という意味であり、(中略)(現代ドイツ語の「婦人」を意味する Frau に対応する)古高ドイツ語の frouwa と同根語である。
出典元:フレイヤ - Wikipedia
ドイツ語で wa は ヴァ と発音するので、frouwa の発音はフローヴァです。
ということで、調べるまで知らなかったんですが、名前からもシル=フレイヤは示唆されていたんですね。
特に「シル」という名前は、精霊は名前を明かさなかったと聞いたところでシルが意味深な呟きをしたことに関係していて、この明言はしていないけれど神話とのリンクがあるというのが堪りません。
ということで、
「真名を……秘密を明かしてしまったら、全てが壊れる。そう思ったんでしょうか」
(中略)
「もし、私がおかしくなったら、ベルさんはどうしますか?」
(202、203ページより)
この真名というのもシルという異名に対してのフレイヤという真名なのでしょう。
このおかしくなるというのもフレイヤに意識を奪われるだとか、そういう意味かもしれませんね。実際、宿での行動もこれに当たりますし。
そして、エピローグで娘の時間は終わり、今後はフレイヤ(おかしくなったシル)をベルが止める展開になるのでしょうか。
因みに”Alea iacta est”は賽は投げられたという意味だそうで、期待が煽られます。
英雄と伴侶
英雄橋での一幕。
「世界は英雄を欲している」
何度聞いても、胸の昂ぶる一文です。
そして、
「私は『オーズ』に会いたいんです。かけがえのない私の英雄に」
「オーズ……?」
「はい……私だけの、
英雄 」
(250ページより)
「彼女を惑わす『
英雄 』など──女神の心を奪う『伴侶 』など、必要ない‼︎」
(355ページより)
シルにとっての
オーズとはなんぞやと思い調べてみたところ、北欧神話におけるフレイヤの夫がオーズだそうです。
結局、オーズとはここで言う英雄とは何なのでしょう。彼女らに何をする人が英雄たり得るのでしょう。
今この文章を書きながら自然と「彼女ら」と書いて、シルとフレイヤを別にみている自分に気づきました。
フレイヤが伴侶を探すために用いる彼女の神格の一部がシルだとすれば、この表現には違和感がありますし、何とも複雑な感情に襲われますが、二人(一人と一柱)が別々の意識であるとすれば、彼女らを切り離す存在が英雄なのかもしれませんね。
他にも、下界に降りた神には恩恵を受けていない人程度の能力しかないのではなかったのか(魅了は例外としても)。リュー・リオンも「あの方」のお気に入りとはどういうことなのか。と、疑問は尽きませんが、これ以上は17巻に期待ですね。
そして、ラノベニュースオンラインさんによる大森藤ノ先生のインタビュー、1万5000字越えという読み応えたっぷりの記事で面白かったので紹介しておきます。
未読の方は必読ですよ。
それでは、また。