孤読な日々

ライトノベルを愛するブログ

【感想】Re:ゼロから始める異世界生活25

 

「──ああ、わかるよ」

 

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 『Re:ゼロから始める異世界生活25』

 著:長月達平 イラスト:大塚真一郎

 

の感想です。

 いつも通りTwitterでも書いたんですが、如何せんネタバレなしに語れることは限られるし、140字では足りないしでまだ書き足りん、というわけです。

 

 ではでは、ネタバレありなのでそのつもりで。

 

 

 

 

 

ナツキ・スバルナツキ・スバル

 とりあえず本編に倣って、記憶の廻廊で記憶を奪われるまでのナツキ・スバルを『スバル』、その後緑部屋で目を覚ましたナツキ・スバルをスバルと呼ぶということでよろしかろうか。

 

 スバルにとってはこの6章のループは異世界転生後初めてのループであるわけで、『スバル』も言っていたけれど、なかなかにハードモードすぎる……。

 『スバル』の最初のループは盗品蔵事件ですからね。だからと言ってスバルの方が大変な目に遭っているというわけでもないし、論点はそこではないですが。

 

 話を戻して、どう一連の『スバル』とスバルのやりとりが良かったかということで。

 まず、「何か」があったはずだと信じ死者の書を見るスバルの絶望ですね。

 初め誰を信じて良いのかも分からない状況から始まり、絶望してもレムの激励で立ち上がり、しかしそれでもどうにもできなかったスバルは、こんなにも信頼されている、この世界で上手くやってきた『スバル』には、自分にはない超常的な「何か」が与えられたんだと信じないと心を保てなくなっていた、と。

 けれども、事実『スバル』はスバルと同じ弱くてちっぽけで何の力もないやつだった、という。(心の底ではスバル自身もわかっていたことかもしれませんね。)

 

 そして、その絶望の中でかけられる「──ああ、わかるよ」の一言ですよ。個人的に「わかる」という共感を伝える言葉は一方的な押し付けのように感じてしまうことが多くてあまり好きではないし、使うにしても熟慮して使っているつもりなんですが……ここは、間違いなく間違いのない「わかるよ」ですよね。

 厳密に言えば、スバルは『スバル』を追体験してきたけれど、その逆はないのだから分からないと言えば分からないでしょう。でも、「わかるよ」と言う場面において、これはこの上なく正しい「わかるよ」だったと思います。

 

 そしてそして、その後のやりとりを経ての

「弱くて、どうしようもなくて、何にもできなくて、それなのに足掻いて、あいつらのことを大好きお前を、尊敬する。(後略)」

 

(68ページより)

 これですよ。この熱くなるセリフですよ。違ったら申し訳ないのですけれども、スバルが死に戻りのことを分かった相手に正面から承認されるの初めてじゃないですか?(エキドナはまた別なので置いておいて)

 やはり主人公が理解される、賞賛される、尊敬されるシーンは気持ちいいものでこのシーンが好き。そして、スバルもまた短くない時間主人公であったわけでスバルも頑張ったんだと言う気持ちもありました。

 そこで、

「お前も、十分以上にやべぇ橋、渡ってるじゃねぇか……!」

 

(89ページより)

 それを言ってくれる。最高でしたね。

 

 ところで、23巻を読み終えて、丸々『スバル』ではなくスバルのままだったなと思ったあたりから。もしかすると、ずっとこのままなのかな? Re:ゼロから始める異世界生活なのかな? だとしたらあまりにも容赦なくて、それはそれで良いな、と思っていましたが、流石にそんなことにはなりませんでしたね。

 

 

『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス 

 ユリウス・ユークリウス、好きなんですよ。このラノの男性キャラクター部門でも2位に投票しました。残念ながらランクインはしてませんでしたが。(知ってた)

 

 で、ですよ。前述の『スバル』とスバル然り、熱いシーンの多かった本巻を語るにユリウスに触れずにいられようか、と。

 

 まず、ストレートに最高の流れの一部を引用させていただく。噛み締めて再読してほしい。

 ──『最優の騎士』と、そう自ら名乗ることには勇気がいった。

 騎士とは誉れ、その名に見合った努力と研鑽、優れた実力の証に与る称号。ましてや『最優』ともなれば、途方もない奮励と精進が求められて然るべきだ。

 はたして、自分はそれに相応しい努力をしてきただろうか。

 惜しまぬ努力で限界を超えたか? 常日頃、力尽きるまで自分を磨いたか? 他者の奮励に触発されて、より一層の努力を理想に誓ったか?

 その自問に、自ら答えよう。

 ユリウス・ユークリウスは、それを果たしてきたと──。

「──私は『最優の騎士』、ユリウス・ユークリウス。あなたを斬る、王国の剣だ」

 

(235ページより)

 これまでは、『最優の騎士』というのは最も騎士としての規範に忠実であり優秀である、しかし、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアがいる以上最強ではない、と言うようなどこかマイナスなイメージも含有しているような気がしていました。でも、そうではない、と。

 

 自分は『最優』に足る努力をしてきたのだと、答える姿が最高にかっこいい。例えば、自分が相応の何かに関して努力を惜しまなかったと言えるほどの努力をしたことはあるかと考えれば、まずありません。あると答えられる人の方が少ないと思います。自らに厳しく、吟味を重ればさらに減るでしょう。それでも、努力を惜しまなかったと言える人は本当にすごい人です。(なんか上から目線っぽくなってしまいましたが)

 けれど、ユリウスは答えた、と。それはもう、真に努力の限りを尽くしたと言うことでしょう。本当にすごい人の1人と言うことでしょう。この前のシーンまでで自身が憧れた『騎士』像を語り、見栄を張り続けることを貫いた漢が、ここで『騎士』たる自分に甘えた評価を下せるはずがないんですよね。だから間違いない。

 

 見栄を張り続けると言うのがまた良い。作中でも言われているように、ユリウスのような行儀の良い剣捌きのキャラクターはそれを止めることで殻を破り強くなる、ということが多いように思いますし、今回もそうだと思っていました。

 実際、発売前に口絵が公開された時、「この世で最も憧れる『それ』になり切って」はラインハルトになりきって、身近で遠い彼の剣技を真似ることで一皮剥けると予想していましたね。

 しかし、貫くのがユリウス・ユークリウスか、と。こう予想を覆されたことが本当に嬉しい。今後、何かを貫きたい時、このシーンを読み返すと思います。そのくらい良いシーンだった。

 

 そもそも個人的にキャラクターよりもストーリーを重視して読む傾向があるので(リゼロは特に)、5章までで「リゼロはこのキャラクターが一番!」というのはなかったのですが、この6章を読んだ以上これからは間違いなくユリウス・ユークリウスが1番になりましたね。

 

 

「──志を問わん」

 ここでボルカニカに登場か、と。役目を忘れてしまった、というのは些か拍子抜けでもありましたが、それ以上にリゼロの世界観の表出に胸が踊ります。4章でエキドナが7人の魔女について次々に語った時のような高揚が、ボルカニカがフリューゲルたちの名を出した時にもありました。

 

 過去の一団の物語が大好きなんですよね。他の作品で言えば、”最初の一行”であったり、解放者(異端者)であったり、当時を語られながらも敗北が決定しているからかもしれません。

 リゼロにおいてはサテラを封印できたわけですが、ボルカニカには後悔があるようですしね。それに大図書館プレイアデスは、賢者が隠居しているというのは語弊がありましたし、嫉妬の魔女の封印を監視していて、試験を攻略すれば全能が得られるというのもどこまで本当かわかりません。本当だとしてそれだけということはあり得ないでしょう。

 

 何か後代に託すような意味合いがあるように思えてなりませんし、結局フリューゲルは何なのか? スバルとの関係は? なぜフリューゲルの大樹に関してしか記録がないのか? 大樹は何のために植えられたのか?

 6章完結と言っても謎を深まるばかりで続きが楽しみでなりません。

 

 

 色々と忘れていることもあって、考察めいたことをするほどの読み込み具合にも程遠いのでここらで区切りとしようと思います。

 

 それではまた。